宝剣

　剣がまばゆいほど光ったような気がした。焚き火の何かが爆ぜたということはもうない。火は、燃料が費えてもう殆ど消えかかっている。だが、この剣は光ったはずだ。その閃光と共に、彼は今再び頬の痛みを感じ、あの低い女の声を聞いたのだから。
「お逃げになるおつもりか」
　彼は弾かれたように、その言葉に込められた凄まじい怒気を今実感した。その怒りはまっすぐ彼に向けられていた。そうして、彼は、あの二人が再び彼の元へ帰ってきたのだ、という感慨をしみじみと噛み締めたのだった。
　ただ単に二人と再会した、というなら、「主上！」と泰麒が歓喜に満ちた声を上げ、李斎が檻を叩き割ってから、もう半日が経とうとしている。この時、二人が生きていたことを彼はもちろん喜んだ。ただし、それは彼らの為に喜んだのであって、彼自身の為ではなかった。
　彼にとって二人は既に別れを告げた者であり、彼がしてやれるのは、すでに失敗した自分ではなく新しく別の王を用意してやることだ、とまだ考えていた。
　けれどもあの二人は、他の誰でもない乍驍宗という男の前に現れたのだった――再び彼を王にするために。
　麒麟が角を失い他に王を選べないから。そんな消極的な理由だけであの二人が帰ってきたとは思えない。それなら李斎があれ程まで激しい怒りをぶつけることはないし、泰麒もあんな涙が零れそうな悲しい顔をするはずが無い。何より、この剣がこうやって彼の手元に残されるはずがない。
　その剣に誓え。その言葉と剣を残して李斎は立ち去っていった。泰麒もそれに倣った。あの二人はそのとき、驍宗に自分たちの命を賭けたのだ。もし彼がこの剣で命を絶ったなら、李斎は驍宗に対して怒る以上に自分を、そんな賭けにでた彼女自身を恨みに恨み、絶望にのた打ち回り、憤死してしまうことだろう。泰麒も同じだ。麒麟が自身の命をどう絶つのかわからないが、戴の民のために彼は悲しい決意を固めるに違いない。
　あの二人が命を賭けて王に、と望むのは他ならぬこの私なのだ。そして、この二人の背後には何十万もの戴の民がいる――。
　驍宗は立ち上がった。
　両足で地面を踏みしめ、両手を固く握る。彼の体躯は痩せ細り、その銀髪に艶はなく土埃にまみれて色あせていた。しかし、その真紅の瞳は以前玉座にあった時の苛烈さを取り戻し、覇気に溢れ、既に暗闇に近くなった洞窟の中で炯々と光っていた。
　彼は視線を上げ、中空の一点をきっと睨み据えた。
「私は戴の民を幸せにしなければならない」
　静かだが力強い声が洞窟に響いた。
「そう――しなければならない。そして」
　さらに強く彼は言い切った。
「やって見せる」
　一息ついて彼は視線を下げ再び剣を見た。そのことをお前に誓おう、彼は心の中で彼の宝剣に語りかけた。

　しばらくの間、彼は地面に突き刺した剣を見つめていた。
　やがて、跪き、剣の柄の上に両手を置いて、その上に自分の額を乗せた。そうして、わななきながら深く長いため息をついた。剣と彼の身体の間にぽたぽたと水滴が落ち、しばらく止みそうになかった。それは敵の手に落ちて以来、彼が初めて流す、涙であった。