緑柱の女

「あらあ。いい男じゃない」
　灯りに煌々と照らされたその部屋は色彩に溢れていた。様々な色目の華やかな衣装を纏い、艶やかな化粧を施した女達が部屋のあちこちに座っていた。その女たちが、驍宗を見るなり一斉に色めきたつ。
「銀の髪と紅い眼って、珍しい組み合わせでいらっしゃること」
「そこがとっても素敵」
「ちょっと渋めの感じでいらっしゃるわあ」
　鼻に掛かった甘い声で女達は囀る。立ち上がって出迎えた一番年嵩の女が、驍宗をここへ連れてきた男に声を掛けた。
「本当。風漢さまよりよほど男前でいらっしゃるわよねえ」
「そこまでいうか」
　風漢と呼ばれた男が憮然とした顔を作って見せた。ただそれは一瞬のことで、すぐに元どおり、明るい笑顔で女達に告げる。
「言っておくがな、こいつには妻がおるぞ。それもいい女でな。こいつはその女に首っ丈だ」
「あらあ、そんなお方をどうしてお連れになったのよう」
　軽い抗議の声があがる。
「お前たちの目の保養だ」
　このやりとりを黙って聞きながら、驍宗はやれやれと胸の内でため息をついた。

　驍宗の復位後、彼は何度も延王と会っていた。ただ、それはもっぱら必要と娯楽を兼ねて、延王が戴にやって来ていたのだった。
　戴にとって雁は慶と並んで泰王復位に恩の在る国である。王后を迎えるほど戴が復興したなら、今度はその礼に戴から雁へ、王と王后が揃って出向くべきだ。そう思って泰王ならびに泰后妃が正式に訪問してみれば――。
　雁の官達が整えた公式な会見をさっさと切り上げると、延王は驍宗を関弓の街へ誘った。では李斎も共に、と驍宗は言ったが延王は一蹴した。
「外を見ろ。夜だぞ。夜の関弓の楽しみは男同士でなくてはわからん。男の夜遊びにいちいち目くじらたてる野暮など李斎は申すまい」
「勿論でございますとも」
　涼しい顔で李斎が返す。その顔を驍宗はちらと見た。この女は、自分の気持ちより自分がしなければならないことを優先させる性質だ。この顔がつまらぬことで曇る前に、さっさと切り上げて帰ってこよう。驍宗はそう思いながら延王につれられて関弓の街へと降りていったのだった。
　季節は夏の盛りで、昼間は雲海上の王宮にさえうだるような暑気が這い登ってきていた。しかし、日が暮れると涼風が立ち、熱気に倦み疲れた心身に心地いい。延王と驍宗の二人は夜空の中、風を切りながら騎獣を駆り、関弓の街外れに降り立つ。
　日中はむせ返るほどの夏草の匂いも、夜風に運ばれればこれはこれで趣がある。その叢に騎獣を繋ぐと、延王は楽しげな様子で驍宗に付いて来るよう促した。街に入ると延王はまっすぐ緑の柱の館――すなわち妓楼に驍宗を連れてきた。そうして今、驍宗はこうやって色とりどりに着飾った女達に囲まれ、酒を注がれているというわけだった。
　延王は、いやここでは風漢と名乗っているから風漢と呼ぶべき男は、女達を相手に掛け合いを続けている。驍宗のほうは、きりっと冷やされた酒を口に運びつつ周囲の設えを具に観察していた。
　というのも、驍宗の頭には延王との約束があったからだ。戴の復興なった暁には驍宗が延王の為に賭場を設ける、という約束が。
　ずうっと昔に二人は、今は泰后妃となった一人の女をめぐって賭けをした。延王曰く「俺が勝ったから」、泰王曰く「勝ちを譲って差し上げたから」とそれぞれの言い分は異なるものの、ともかく賭けの勝者は延王ということになった。そして延王が賭けに勝って望んだのが「豪華な内装の、美姫を大勢侍らせた賭場」なのである。
　――これが延王のお好みか。
　延王の性格を考えればなるほどと頷ける、そんな明るい華やかさがこの部屋の設えの基調をなしていた。窓は大胆に床から天井までの玻璃窓となっている。天井を見上げれば、見慣れない豪奢なものが煌々と光っていた。一つ一つの灯火をこれも玻璃の器で包んだものが数多く円環状に連なって部屋全体をきらびやかに照らしている。卓の上にも、玻璃でできた水差しや杯がならび、部屋の照明を受けてこちらもまたきらきらと光っていた。
　これほど贅沢に玻璃を用いるとは。驍宗は内心で唸った。豊かになり始めた今の戴ならこのような豪華さを再現するのも無理なことではない。しかし、と彼は思う。戴でも最近はどんな田舎でも窓に玻璃が行き届くようになっている。ただし、戴の厳しい冬に欠かすことができないこと、それなのに破損しやすいことを考えると、玻璃の備蓄はもっと増やしておきたい。一部の富裕層の贅沢に使う分があれば、もっと国府で管理しておきたかった。大体。驍宗は内心で呟く。こういう派手派手しいのは自分の好みではないのだが。
　――お約束の賭場についてはもうしばらくお待ちいただかなくてはならないな。
　そうひとりごちている驍宗の耳に自分の名前が飛び込んできた。
「ねえ。驍宗様って」
　驍宗がその声の方へ眼をやると、延王、いや風漢に派手な身なりの妓女がしなだれかかっていた。
「風漢さまとどういうお知り合いでいらっしゃるの」
　延王は早速その女の肩に手を回しながら答える。
「同業だ。もっとも俺の方が先輩だ。な、驍宗殿？」
　驍宗は苦笑して頷いた。風漢はその妓女を膝に座らせるとその頬を指でつつきながら、にやりと驍宗に笑いかけて続ける。
「どうだ。ここの女はみな美しいだろう？　妻を大事にするのもよいが、妓楼で遊ぶのも楽しいものだぞ。そう、驍宗殿は物堅すぎる。妓楼に来るのは初めてなのではないか」
「いえ。若い頃に何回か」
　驍宗の返事に延王は大げさに驚いて見せた。
「ほほう……。驍宗殿が妓楼にな。それは意外なことを聞いた」
「私の故郷でも、後輩を妓楼へ誘うのが好きな先輩がいたのですよ」
　――あれは短い間。季節は今と正反対、冬の寒さの厳しい幾月かの話だった。