友人の声

　供王は、昨日と違って何事か興味深そうな表情をしていたが、発せられる言葉は相変わらず辛辣だった。
「泰王におかれては、一体何のご用事かしら？　昨日私が言ったことに弁明などなさっても、私の方には聞く気はないわ。悪いけど、私からは何度でも同じことを申し上げるだけよ」
　驍宗は笑んだ。供王はその笑みに、初めて真面目に驍宗の顔を見詰めた。
「何度でも同じことを伺いたく存ずる。今日はそれをお願いに参った」
「外見十二歳の小娘に罵倒されて何か楽しい？」
　からかうような口調だったが、供王の目は真剣だった。
「供王、貴女の罵倒は死者の声だ。私が玉座を空けていた七年余の間に命を落とした死者たちの。その声なき声を、供王、貴女は代弁なさったのだ」
　李斎、と驍宗は前を向いたまま李斎に声を掛けた。
「昨夜、李斎は、供王は委細をご存じない故私を責めるのだ、と言った。しかし王宮内の事情を知らなかったのは民も同じではないか。それから、轍囲と私の関係は周知であったとしても、個人的な信義を果たすために国を荒らしたとなれば、私を恨む者も多かったことだろう。そう、死者の中には私を恨んだ者も多いはずだ」
「ですが……」
　李斎は痛ましげに夫を見る。
「李斎、私を庇ってくれるのは嬉しい。しかし私は死者の声を聞かねばならない」
　驍宗は、彼を見詰める供王としっかり視線を交わらせて言った。
「七年余の間、百万単位で築かれた屍の山は、私が過ちを犯す存在である証拠。その声なき声は、己の過ちに謙虚たれ、という諫言。そうでしょう？　供王」
　供王は黙って、広げていた扇子を閉じた。
「我々戴の王朝は今、死者たちの残した妻子や孫が幸福であるよう、未来に向かって努力を続けている。その事自体は悪くない。しかし、ともすれば我々は前を向いていて背後の死者を忘れがちになってしまう。しかし決して忘れてはならない。死者は私が過つ存在であることを諌めてくれるのだから……」
　驍宗は居住まいを正して供王に頭を垂れた。
「かような理由です。どうか、供王にはこれからも私に死者の声をお聞かせ願いたい」
　供王の反応は思いもかけないものだった。供王は、驍宗の言に初めて晴れ晴れとした笑顔を見せた。そして「んーっ」と言いながら両腕を高々と天に突き上げて伸びをし、次いで首をかしげて肩を揉む。
「あー疲れた。んもう。悪役をするのって、とーっても疲れるのよねえ」
「……？」
「どうか頭をお上げになって、泰王。見事なお覚悟を見せて頂きました。さすがは傑物と名高くていらっしゃるわね」
「悪役……」
　呆気に取られて李斎が呟く。
「そうよ。昨日の私は、あ・え・てあんな罵詈雑言を並べていたの。お願いだからあれが私の本性だなんてお思いにならないでね。本当の私はとーっても心優しいんだから」
「なぜ……」
　李斎は未だ戸惑いながら問うた。
「泰王と先の峯王との違いを知るためよ。諫言を受け入れる度量があるかどうか、をね」
　供王は驍宗に向き直った。
「今の泰王の治世は完璧だわ。復位後、法は立派に整い、官吏は末端に至るまでそれを遵守して何の腐敗もない。玉を中心に産業を興し、戴は年々豊かになっていく。その豊かさからこぼれおちた民がいても、温かい福利の手が国から差し伸べられる。今や、戴は十二国でも一、二を争う優れた施政の国なんじゃないかしら」
　けれど。供王は表情を翳らせながら続けた。
「王は自ら斃れるもの。どんなに優れた王でも時の流れに抗することはできない。驕りが生まれて堕落していく王もいるし、優れた王であることに飽いてしまう王もいる」
「主上はそのような道とは無縁でいらっしゃいます」
　李斎はムキになってそう言ったが、供王は軽く頷きながら話を変えなかった。
「王が間違った方向に踏みこもうとすれば、誰かが諫言するわ。それが、国が病んでしまう前の最大の、そして最も効く予防薬。けれども自らを正しいと信じて疑わぬ王にはそれが効かない」
　泰王、と供王は驍宗に呼びかけた。
「貴方がおっしゃるように戴には王を諌める者がいる。そう、貴方の空位で命を失った者たちが」
　李斎が再度口を挟んだ。
「諫言ならば、私からも致します」
「あら、泰后妃には無理よ」
　供王は初めて好意を込めて「泰后妃」と呼んだ。そしてくすくす笑う。
「自分の夫がけなされた途端、あんなに血相変えて怒るんだもの。まあ、それでいいと思うわ。泰王は后妃にとって大事な愛する旦那さまですものね。夫婦円満で結構なことだわ」
　そう言うと、供王は今度は真顔になった。
「白圭宮の者たちもそうじゃないかしら。皆泰王と同じ痛みを抱え、同じ未来を目指してる。今の戴王朝はきっと一枚岩のように団結してるでしょうね。たぶん、私ほど辛辣に死者の声を泰王に聞かせることなんてできないわよ」
　だ・か・ら。供王はあどけなさの残る顔立ちに、目には百年近く国政を担ってきた者の貫録を滲ませて、驍宗に言った。
「これからもちょくちょく私のところにいらっしゃい」
「そして私を罵倒なさるか」
　驍宗が笑い含みに言う。
「ええ、思いっきり罵って差し上げるわ」
　供王は楽しげに笑う。
「では今後も伺うことに致そう。死者の声を聞くために」
「そうね。でも、『死者の声』ではなんだか語感が悪いわ。ここは『友人の声』と言って頂戴。私は友人として、泰王に諫言してさし上げるんだから」
「……友人？」
「そうよ、私たち、これから良い友達になるのよ。よろしくね」
　供王はにっこり微笑みながら片手を差し出す。驍宗は苦笑を押し殺しながら、真面目な顔で、十二歳の少女と握手を交わした。

　隣では、李斎がさんざん振り回されて疲れ果てた貌をしていた。その豊かな赤茶の髪から、絹糸のような数本が抜け落ちていったが、さすがの驍宗もそこまで気付くことはなかった。