梅花

　何か言わなければ――。李斎は彼を見つめながら、言葉を紡ごうと焦る。しかし、焦れば焦るほど言葉が出てこない。一体何をどう言えばいいのだろう。
　彼の言葉が嬉しくないわけがない。自分が恋をしている男に、愛を告げられて嬉しくない女など居はしない。男の手を握り締めている彼女の指先に、力が入る。彼の告白に、心が震えるほどの喜びを自分が感じているのは確かなのだ。
　妻となる。これとて望外の幸せだ。それは男の愛の証だからというだけではない。妻となることで、誰憚ることなく彼を愛する立場を得られることが彼女は嬉しい。
　妻になれば、人目を、驍宗自身さえも気にすることなく、彼を見つめたいだけ見つめることができる。自分がどれだけ男を想っているか、いくらでも本人に囁くこともできるようになる。彼が疲れているときには、言葉だけではなく、彼の手を優しく握って熱を込めて励ますことだってできるのだ。愛されていることも嬉しいが、彼女は、心置きなく相手を愛することができるようになることも嬉しい。
　そう、妻にと望まれることまでは喜んで受け入れることができる。しかし、王后とは――。
　王后。その立場はあまりにも仰々し過ぎ、彼女の願っていることとは、かみあっていないような気がしてならない。彼女の願いからすれば、何も正式な妻でさえなくても構わない。恋人だと公に宣言してもらえれば――少しばかり気恥ずかしいけれども――、それで十分なのだった。
　彼女は小さくため息をついて、指先まで篭っていた力を抜く。左手を男に預けながらも、彼女は男から目を逸らし、自分が座り込んでいる床を見つめながら考える。
　――主上は、私に気を使っていらっしゃるのではないだろうか――。
　国情が安定するにつれ、民の驍宗に対する信頼も随分回復してきた。ただ、李斎に対する民の敬愛の念は、今でも王への信頼を凌ぐほど強い。あの大乱に直接の責はなく、それなのに利き腕を失ってまで国を救った女将軍。民の心に李斎は今もなお神格化されていた。今回驍宗が彼女を王后に、と言うのは、こういった民の心に配慮して出てきたのではないだろうか。そう彼女は思い始める。
　――もしかしたら、「愛している」という言葉自体からして、私への気遣いなのでは――。
　考えが進むにつれ、彼女の心は暗く冷たく縮こまっていく。私が恋を告げたから、それで初めて主上は私を女として見るようになったのではないだろうか。そこで、王后という重々しい位を与えることで、私の過去の功績に報いてやろうと思いつかれたのではないだろうか。妻にと言うからには自分のことを憎からず思ってはいるのだろうが、この求婚には論功褒章の意味合いがあるのではないだろうか。彼女はそう考え始めていた。
　そんな理由で王后の位を与えられるのは嫌だった。女としての矜持の問題もある。それに、彼女は驍宗にそんな理由で妻を娶って欲しくなかった。彼には、本当に彼自身の心をゆだねることが出来る伴侶を見つけて欲しかった。それが自分でなければ苦しむことになるだろうけれども。それでも、王としての立場で、民や自分への気遣いから自分を妻に娶るよりずっとましだ。李斎はそう思った。
　――私の欲しいのは、王后位より貴方の心だ――。
　大きく息を吐き、彼女は彼の手から左手を引き抜こうとした。
　だが、男はそれに素早く気付くとすぐさま強く握り締め、彼女を逃がそうとはしなかった。