一国の獣

　ジジっと掠れた音がする。ああ灯明の油が切れているのだ。李斎はそう思って、油を足しに席を立った。
　灯明の弱々しい灯りは、一人の男の、疲労の色の濃い顔を、闇の中に浮かびあがらせていた。復位後間もない驍宗の姿だ。
　先の大乱から国土は未だ回復しきっておらず、この秋の実りも少ない。しかしそれでも国を動かしていくなら、税を取らなければならない。泰麒は、今年はなんとか免じることができないかと朝議で抗議したが、驍宗は「ならぬ」の一言で退けた。河川の整備など、国がやらねばならない事業を先延ばしにするのも限界だったからである。
　李斎が灯明に油を足す。彼は相変わらず苦吟している。税を取るとしてどこからどれだけ徴収するなら民は納得するだろうか。卓上の紙に、何事か書きつけては手をとめ、宙を見詰めては再び書きつけたものに目を落とす。
　灯りが明るくなり、驍宗は李斎に目をむけた。
「あの、油を足しておきました」
「うむ」
　不思議な顔つきだと、その時の驍宗の顔を見て李斎はそう思った。
　片方の目は疲労に打ちひしがれている。自分の失策のせいでに国土は荒れ果て、こんなに僅かな実りしかもたらさない。民の心も未だ貧しさを忘れることができず、税の取り立てにも叛乱寸前の抵抗があり、その際には驍宗への罵詈雑言が吐かれることもあった。人心もまた、かくも荒んでいる。
　更に疲労の種はこれだけにとどまらない。この一件を片づけたところで、復興途中の国には、課題や問題は山積しているのだ。
　気力も萎えはててしまいそうな色が片方の目に浮かんでいるのと反対に、もう片方の目には光があった。蓬山で見た、彼の中の炎が未だ健在であることを示すような。
　この頃彼は盛んに口に出していた。「大丈夫だ。私が何とかして見せる」と。
確かに彼は異能ともいうべき優秀な為政者だった。復位直後の混乱期から、彼でなければ出来ないほど早期に、朝を回復させ、一つ一つの課題を解決して今に至っている。
　彼なら今度の問題も解決し、戴はまた一歩、驍宗が主たるにふさわしい国に近づいていくことができるだろう。片目に浮かぶ、彼を彼たらしめている強い覇気を見て、彼女はそう信じることができた。
　疲労を浮かべた片目と、炎のような覇気に満ちた片目と。この両の目が存在するその顔つきが、李斎の心を捉え、彼女は彼の顔をまじまじと見つめてしまった。
　そうだ。そのころからだ。疲労や失意と、彼生来の覇気とが、彼の一身の内に宿り、互いに闘っているような男の姿を愛おしいと思いはじめたのは。彼を愛し、その支えになりたいと願うようになったのは。