階梯

「随分と劇的な演出をほどこしてくれたものだな」
　歓喜に満ちて次々と彼らを取り囲む群衆からやっと解放され、戴国の王と麒麟は天幕の中で向き合っていた。
　外ではまだ宴が続いている。驍宗の率いてきた禁軍も、文州の民も、互いの区別などもうどうでも良かった。街中のありとあらゆる酒と食料を持ち出して祝宴を開き、声を張り上げて歌い踊っていた。ときおり、勝ち鬨をあげるような「戴国万歳」という大声が響く。
　天幕の中、人の形に戻った泰麒は悪戯めいた目で主を見て答えた。
「わかりましたか」
　そう。麒麟としての自分の再生を以って、人々に戴の再生を出来る限り強く印象づけたい。泰麒は彼なりに知恵を巡らし、そう企んでいたのだった。
「礼を言う。――この再生劇はこれからの戴に必要なものだ」
　礼を言う――。幼い泰麒が驍宗を玉座に据えたあの誓約の時も、驍宗は「礼を言う」と言った。ただし、それは泰麒が驍宗を王に選んだことに対しての礼だった。
　この方はお変わりになられた――。泰麒は思った。どう必要だというのか真意はわからないが、ともかく驍宗は自分ではなく戴の国の為に礼を述べたのだということはわかる。
「あの男は、国は何のためにあるのかと私に問うたな」
　驍宗があの男と言うとき、それは叛徒の頭目をさすのだと泰麒には分かっていた。
「税をあげるぞ」
　唐突な王の言葉に、泰麒は困った顔をする。民意を具現する立場としては税は出来るだけ軽くあって欲しい。
「人は一人では何もできないな」
　やれやれ。頭の回転が速すぎて話の展開についていけないところはお変わりにならない。泰麒は苦笑する。
「だから集まる。それが里となり、郷となり、州となる。この集団の力で個人ができないこと、例えば田を切り開いたり、堤を築いたりといったことをする」
「ええ」
「州ぐらいなら、その中の往来もたやすいし、自然に発生した集まりと言えるだろうな。が、互いの州を跨いで行き来するとなると、人々の日常の生活にはあまりないこととなる」
　だから――と驍宗は続けた。
「州を束ねる国は何故あるのか。その必然性を民が直感的に理解するのは難しい。しかし、一人の人が何も出来ないように、一つの州で出来ないことはいくらでもある。だから、国は必要なのだ。それを納得させるような仕事を国府は果たして行かなければならない。税は取る。但しそれに見合う、いやそれ以上の仕事で民を納得させる。そう、納得させ続けるのが王の仕事だ」
　そうだな――。驍宗の顔に覇気がみなぎる。駿馬は今、縄を解かれて駆け出そうとしていた。
「街道を整備しなければならない。運河や港もだ。どんな寒村からでも首都に出やすいようにしてやらなければならないし、どんな辺鄙なところにも、国が得た物や情報の蓄積を普く行き渡るようにしなければならない。学校も整えてやらねばならぬ。そう、書物も増やさなければ。人を雇って写本を大量につくらせよう。他の国にあって戴にないものも一杯あるな。奏には保翠院という荒民や浮民のための救済施設があって、公主が首長に立っておられるそうだ。戴にもそういったものが欲しい」
「宗王は、ご家族がたくさんいらっしゃいますから……」
　放っておけばいくらでも政策を挙げ続けかねない驍宗の話に、やっと泰麒は割り込んだ。それらを全部やろうとするなら一体どれほど税が必要になることやら。
「戴とは事情が違いますし。そう一度に何もかもなさらず、できることから……」
「家族か？」
　驍宗は、大きな笑みを顔に刷いて、立ち上がった。
「帰るぞ」
「は？」
「軍勢は後からついてくればいい。私は一足先に一人で帰る。その方がずっと早く白圭宮に着くからな」
「？」
「そうだな。これで天官にも仕事をくれてやることができる。今まで国府の出費を抑えるために天官の仕事を削り続けてきたからな。さぞ不満もたまっていることだろう」
「あのう……？」
　驍宗はつかつかと出口のほうに歩き出し、外套を羽織りながら泰麒に説明を加えた。
「今回の再生劇は今後国を纏めていく新しい神話となるだろう。人心を束ねるには祝祭も必要だ。そう、もう一つくらい大きな祝祭があってもいいだろう」
「……？」
　驍宗は外へ一歩ふみだしながら、怪訝な顔の泰麒を楽しそうに振り返り、誇らしげに言った。
「家族なら、一人迎えるあてがあるのだ」
　ああ、と泰麒も納得がいった。
「李斎ですか」
「何だ。やはりわかるか。どうせ正頼あたりが面白おかしくお前に吹き込んでいるのだろう」
　それには答えず、くすくす笑いながら泰麒は言った。
「早く李斎に会いたくて、それでお急ぎなんですね」
「そうだ」
　照れもせず、男は答えた。
「では……」
　このとき天幕のすぐ近くで、戴国万歳という大きな叫び声が沸き起った。そのため泰麒の言葉が聞き取れず、驍宗は泰麒に何を言ったのか聞き返した。