子供の庭

　驍宗と正頼が禁軍の鍛錬場に行くと、そこに人だかりができていた。中では「えいっ」「とおっ」などの勇ましい掛け声が上がっている。まだ若い少女のものだ。驍宗と正頼が近付くと、禁軍の者達はさっと道をあけ二人を中に通した。
　背の高い少女が練習用の木刀で禁軍兵士の一人と対戦していた。皮甲もつけない普通の格好で、襟元や裾が少々肌蹴気味だったが、自分の姿など殆ど構うことなくひたすら相手に向かっている。
　――ほほう。これはこれは。
　少女はいっそ地味といえるくらい整った顔をしていた。この手の顔立ちは内面が豊かになるにつれ一層美しくなることが出来る顔だ、と正頼は思う。なるほど。これは李斎殿に似ていてますな。
　彼女が動き回るたびに揺れ動く髪は栗色であったが、夕日の朱を受けて赤茶に見えるときもある。背は高くても李斎殿ほど大柄だという印象を受けないのは、まだ武人として本格的に身体を鍛えていないからだろう。しかしこれほど武芸が好きなら、軍に入ってからの厳しい鍛錬にも伍していくこともできよう。
　剣の腕の方はまだまだ未熟だ。正頼自身は文官だが長い間軍吏を勤めていたから武人の力量を推し量ることができる。さっきから禁軍兵士が明らかに手加減してやっているのも丸分かりだった。しかし彼女は基本の型はしっかりしているし、禁軍の兵士の動きによくついていっている。それに、時折思いもかけぬ鋭い攻撃を見せる。
　それに何より先程の悪童をたしなめたあの気迫。禁軍の兵士相手に彼女なりの本気で立ち向かっていくその姿勢。未来の将軍に必要なものをこの少女もまた持っている。
　――なるほど。李斎殿が「娘のようだ」と仰ったのも納得ですなあ。
　李斎に似ているところも似ていないところも両方含めて、この少女は李斎の「娘」と呼ぶのにふさわしいと正頼は思った。そしてきっと同じことを考えているに違いない驍宗の顔を、期待を込めて見上げる。しかし――。
　――おやおや。これは一体？
　驍宗の顔は一見無表情に見えるが、長年仕えた正頼はそこに含まれる微妙な感情も察知することができる。
　――これはかなり機嫌の悪いお顔だ。
　意外に思う正頼をよそに、驍宗は少女に向かってきっぱりと声を掛け、試合をやめさせた。
「私が相手をしよう」
　この言葉に周囲はどよめく。驍宗は今でも時折禁軍兵士の相手をしてやることがあるが、それでもかなり腕の立つ者とだけに限られる。それが遊びに来た少女の相手になってやるとは。兵士達は当惑した様子を隠せない。
　少女は今声を掛けた男が誰であるか、周囲のどよめきとその容貌から察したのだろう。膝をついて丁寧に礼をとる。そして立ち上がると真っ直ぐ驍宗を見て言った。
「お願い致します」
　正頼も含め周囲から「ほう」という声にならない息が洩れる。この娘はなかなか度胸もある。驍宗もそれには感心したのか微かに口元を緩めた。
　しかし、たちまち厳しい顔に戻ると彼女に視線を向けたまま、兵士の方に声を掛けた。
「皮甲を貸してやれ」
　正頼は驚いて訊ねる。
「まさか……。主上はこの娘と皮甲が必要なほど打ち合うおつもりでいらっしゃるのですか？」
　驍宗は正頼の方には振り向かず、一層険しい顔で少女を睨み付けた。さすがの少女もこれにはたじろぐ。そんな娘に驍宗は重々しい口調で言い渡した。
「慎みのためだ」
「は？」
　正頼は聞き返した。少女も一瞬怪訝そうな表情を浮かべた。しかし、少女はすぐにぱっと頬を赤く染めると、木刀を地面に下ろして自分の肌蹴ていた襟元や裾を丁寧に整え始めた。そして兵士から渡された皮甲をしっかりとに身に着け始める。
　――ははあん。なあるほど。
　少女と驍宗との手合わせ自体は呆気なかった。少女が動いたと同時に彼女の刀は弾きとばされてしまった。あまりの早さに何が起こったのか咄嗟につかめず、少女は空になった自分の両手を見つめている。十二国に名高い剣客と単なる武術好きとの間は斯様に遠い。それを思い知ってもまだ不思議が起こったかのような顔をしている少女に、驍宗は断固とした口調で念を押した。
「いいか。武人には男の方が多い。慎みを持て。――それを忘れずにいるように」
　それだけ言い残して驍宗は踵を返した。正頼も慌ててその後を追う。
　――あの少女も災難というか何と言うか。
　確かに少女は勇ましく大立ち回りを演じていたぶん、着ていた服が乱れていた。女の匂いがするかしないかという年齢の少女には妙な艶かしさがある。周囲は規律正しい禁軍の軍人であるから、市井の男どものようにあからさまににやけたりはしなかったけれども。それでも言われてみれば、まだ世慣れぬ風の若い男の兵士がちらちらと、彼女の剣の動き以外にも目を遣っていたようだったのを正頼は思い出した。
　李斎殿に似た少女がその肌を他の男に晒すのがお嫌だったのか、それとも年頃の娘を持った父親のような心境なのか。ともあれ、驍宗様にあれほど厳しく言われたのだから、彼女も李斎殿同様物堅い女性に育つことだろう。
　――やれやれ。あの娘が禁軍に入っても驍宗様は気にかけるでしょうけど……。この調子ではあの娘が恋人ひとり持つのにも一騒動ありそうですな。
　正頼は後ろを振り向いた。気が抜けたのかあの少女はその場にへたり込んでいる。そこに同じ保翠院から遊びに来たのであろう小さな子供が駆け寄ってきた。その子供を見て正頼は一瞬足を止める。
「どうした。正頼」
「いえいえ。なんでもありません」
　その子供は黒い髪をした十歳ほどの男の子だった。まるで誰かの幼い頃を思い起こさせるような――。そしてその誰かの幼い頃を思い出すとき、自分と同じく驍宗の胸にも哀しみと後悔が広がることが正頼には分かっていた。
「何でもございませんよ。さて、やっと私との用件の番ですな」
　正頼は驍宗を促して正殿へと歩を進めた。