雪中の実

　驍宗一行と廉王との雨潦宮での対面は、泰麒の初めてのそれほど奇態なものとならずにすんだ。廉王はきちんと礼服を着こんでしかるべき席で客を迎えたし、戴側の一行も季節を考慮した礼装を調えていた。
　もし妙なところを強いて挙げるとするなら、廉王の席に座るいかにも好青年といった風情の若者が、口上を述べる度に言葉に詰まるところぐらいだろうか。
　もっとも最後の最後に、この青年がこう言った。
「あのう、良かったら俺の畑をご覧になりませんか？　前に台輔……えーっとうちのじゃなくて、泰台輔がお越しの時にも喜んで貰えたんです。あの時と同じように紅嘉祥がたくさん実っているんですよ」
　李斎以外の戴の一行は一様に微笑んだ。他国では珍しかろうが、これがこの国の流儀らしいと、そう思ったからだった。
　果樹園では、確かに紅嘉祥の赤い実があちらこちらに生っていた。廉王、いや青年鴨世卓は、誇らしげにその艶やかな赤い実を指差した。
「食べ頃のがたくさんあります。採って皆さんに差し上げますね」
「私も採ろう。私も農家生まれだから、実の熟れ頃はわかるつもりだ」
　世卓の言葉に応えたのは、驍宗だった。世卓は少し驚いた顔をしたが、
「そうだったんですかあ。なんだか意外ですね。じゃあお願いします」
　とのんびりした口調でそう頼んだのだった。
　二人の王がなにやら話し込みながら、紅嘉祥の収穫に精をだしている。廉の家臣は慣れた様子でそれを何とも思わず、戴の家臣達を傍の四阿に誘った。　
　戴の方も、李斎は右腕がないから手伝うことができないし、他の下官達は声を掛けるきっかけを失ってしまっていた。まあ国主同士で親交を深めるのも宜しいでしょう。そういうわけで、二人の王が果樹園の中から戻ってくるまで、廉の下官達に勧められるまま戴国一行も四阿で待つこととなった。
「ほうら、美味しそうでしょう？　泰王とご一緒にとびきりうまそうなのを選びましたからね」
　紅嘉祥を籠に山盛りにして差し出し、青年世卓が誇らしげに笑う。
「さあ、みんなで食べましょう」
　世卓がそう声を発したが、洗って皮を剥く作業は、廉の下官がすばやく王から取り上げてしまった。
「美味いな」
　驍宗が口に含むとすぐそう呟く。世辞など言わないし、言う必要もないから本当に美味いのだろう。戴の下官たちも続いて次々と口に運び、その味を褒め称えた。
　李斎ももちろん口にしたし、美味しいと感じた。しかし、それを素直に口にも顔にも出すことができなかった。
「あれ？　泰皇妃には、あんまり甘くないのがあたってしまいましたか？　それとも紅嘉祥はお好みでなかったでしょうかね？」
　何の邪気なく世卓が李斎に尋ねてくる。
「いえ……」
　微かに狼狽しながら、李斎はその場を誤魔化そうと急いで話題を探した。
「台輔の……泰麒のお小さい頃を思い出していて……」
　そこでつい李斎はあの話に引っかかってしまう。自分の心がそこから離れることが出来ないからだ。
「この果樹園で廉王は泰台輔に『お役目とお仕事』のお話をされたんですね……」
　李斎が気をつけたつもりでも、語尾が暗く沈んでいく。世卓はちょっと不思議そうに李斎の顔を見たが、特にそれには触れず、話題を泰麒に向けた。
「泰台輔はお小さい頃はいろんなことにお悩みでした。今は大分大きくなられたんでしょうね。つつがなくお過ごしですか？」
「それはもう。すっかり成長なされて、宰補の仕事に精を出しておられます。ずいぶんと張り切って毎日お過ごしです」
　ここで李斎の口調は明るくなった。しかしここは廉国雨潦宮。李斎はつい、今の泰麒よりも幼かった頃の泰麒の方を思い出してしまう。稚かった子供が素直に抱いた廉の感想を。彼女は呟く。
「この廉国では、冬の最中にこんなにも甘い果物がたわわに実る……本当にお羨ましい……」
　その声音の持つ陰影に、世卓は直接こたえず一拍間をあけた。それから、独り言を言うように果樹園の樹々を見上げて何気ない風に言った。
「美味しい実の生る頃には、虫たちも食べにやってきて穴をあけてしまうんですよ。そうだなあ。今晩あたりちゃんと見回っとかなきゃいけないなあ」