友人の声

　果たして。後日、恭より、短く素っ気ない招待状が届いた。泰王ならびに泰后妃をご招待申しあげる、と用件のみ書かれたものだった。
　それを受けて泰王一行は恭へと向かった。雁から黒海を抜けての旅路である。途中で玄英宮に立ち寄り延王に会った。
「ほう、あのお譲ちゃんに会いにいくのか。供王は情理で言えばやや理に傾いたところもあるが……。李斎の一件もその性格から来たのだろう。それでも僅か十二歳で王になり百年近くの治世を敷くだけのことはある。友人になって損はないぞ」
　しかし「友人になれ」という延王の言葉は、霜楓宮に着いて中に通されている内に、李斎の中で疑問に変わっていく。
　霜楓宮は豪奢な宮だった。黒御影石の床は人の顔が映らんばかりに磨きあげられている。欄間には緻密な透かし彫りが施され、壁と柱は昨日塗り替えたばかりのよう。そして香が焚かれているのか、どこからともなく心地よい甘い香りが漂ってくる。
　李斎は違和感を覚えた。彼女の良く知る王宮は、白圭宮も金波宮も玄英宮も、主が質素を好むため、そのありようも決して華美ではなかった。いったいこのような贅を尽くした華麗な王宮に棲む主と、自分たちとの間に誼など結ぶことができるだろうか。
　その李斎の疑問は本人を目にしてますます強くなる。現れたのはあどけなさの残る十二の少女。絹の裳裾を床に靡かせ、身に帯びた簪、玉佩、耳環どれをとっても最上質の玉か金銀でできていた。これだけ着飾っても下品にならないのは趣味が良いのだろうし本人自体も美少女なのだが、無表情に驍宗と自分を眺めやる様を見ると、まるで良くできた人形をみるかのような気もするのだった。
　そう、この常世にたった十二人しかいない王が訪ねて来たというのに、供王の表情には、こちらに特別な親しみを覚えた風はなかった。やはり自分の一件を未だお怒りなのだろうか。李斎は胃の痛む思いだった。
　恭国戴国両王の対面は、儀礼書どおりに淡々と進み、あっけなく終わった。女官たちが茶と菓子を運んでくる。ここからが非公式な対談となる合図でもあった。
　恭王の瞳に初めて光が宿った。あどけない顔。その頬に、よく手入れされた爪と共に指先を当て、恭王は軽く頬杖をつく。そして驍宗を一瞥すると、少女は、珊瑚のような色の唇を開き、こう言い放った。
「言っときますけれど、同じ一国の王といっても、私や他の王と貴方とは立場が違うのは忘れないでおいて頂きたいわ」
　李斎は目を見開いて、とっさに隣の驍宗を見た。「立場が違う」とは、文脈や声の調子から見て「一段劣る」の意味だとすぐに分かったからである。驍宗にもそれがわからないはずもなく、理由もなく見下された怒りが、赤い瞳の奥底で燃えたぎっているのが見てとれた。
　ただし驍宗は、あくまで落ち着いた声で冷静に、その代わり直載に尋ねた。
「供王におかれては、いったい何をご不快にお思いか？」
「柳や巧はともかく、国を荒らした王が、何もなかったかのように玉座についているのは戴だけよ」
「……！」
　バタンっと椅子を後ろに倒しながら李斎が立ち上がった。息も荒く、座ったままの少女に詰め寄らんばかりの勢いで問う。
「恐れながら、それは阿選の叛乱を指してのことでしょうか」
　供王は李斎の方を見上げもせず、茶をすすってから、ひたと驍宗を見据えた。
「即位後半年で家臣の叛乱を許し、その後七年余にわたって玉座をあけたまま。その間に百万単位で民が死んだわ。貴方はその屍の上に座っているのよ」
「供王、それはっ」
　李斎の声は興奮のあまり叫び声となってしまう。供王が李斎を見た。対面の儀式が始まって以来、初めてのことである。
「貴女もね。たとえ形式的に処分が下ろうとも、貴女が虚海を渡ったのは、景王に対して覿面の罪を唆すことが目的であった事実は変わらないわ。なるほど貴方は他国の権で処分を受けているから、私から何もできないけれど。でも、かつてあさましい手段で一国を沈めようとした人間を、軽蔑するのは私の自由よ」
「…………」
　李斎は黙って立ち尽くすしかなかった。自分のことを言われると何も言えない。景王の温情あって不問にふされていても、確かに自分は罪を犯そうとした愚か者なのだ。
　驍宗は黙って供王に相対していた。その双眸には、いまやはっきりと苛烈なものが宿っている。大抵の者ならこの瞳で一瞥されただけで縮みあがってしまうだろう。
　けれども、十二で黄海を越え、以来百年近く王朝を率いて来た少女はひるむ様子を見せなかった。そしてぴしゃりと一言放って見せる。
「一国を荒らした王と、一国を沈めようとした王后。私は、そんな貴方がたに好意なんてこれっぽっちも持ち合わせていないの。じゃあね。さようなら」